第172回:自由市場のはずなのに、減産でも相場が上がらない不思議

中古車業界と茶業界の類似性

ここのところ、中古車業界大手企業の不祥事で、大変な騒ぎが起きています。

もう四半世紀ほど昔の話になりますが、中古車業界の急成長ベンチャー企業の支援に携わっていた時期があります。
この間、数年ほど自動車関連業界の方との交流もあり、その収益構造や体質などが分かるだけに、さもありなん、と思います。
その反面、当時支援先が掲げていた”中古車市場の透明化”というのは、結局まだ果たせていなかったのかとも残念に感じています。

なぜこのような話から始めたかというと、個人的に、茶業界と中古車業界には似た点もあると感じているからです。
特に、最近話題に上りがちな”シングルオリジン”や”単一ロット”のお茶などは、まさに似たような性質を持っていると感じます。

それは、いずれも”一物一価”でありながら、”相場の影響も受ける”という点です。

 

相場の影響も受ける”一物一価”の商品

中古車というものは、”一物一価”であると言われます。
これは、それぞれの車の色、オプション、傷や内装の劣化具合、修復歴の有無など、”程度”がまちまちであり、全く同じものは二つとしてない、という側面を表しています。

反面、ごく一部のビンテージカーのようなものを除けば、多くの中古車は量産された工業製品です。
同じ年でも、数千台から数万台は生産されている規格品ですから、小さな差異に目を向けなければ、ほぼ同等であるとも言えます。

それゆえに中古車にはオークション市場などで”相場”というものが形成され、その相場の動向によって、販売価格が上下します。
たとえば、ここ数年のようにコロナ禍による半導体不足で新車の製造がままならず、納期が長くなると、早く入手できる中古車相場が上がる、ということがあります。
また、近年では中古車の海外への輸出も盛んなため、国際情勢にも左右される面があります(ウクライナ戦争でロシア向けの出荷が止まる、等)。
このように”相場”は主に需要と供給によって変動し、”一物一価”である中古車はその相場に沿って、価格の幅を形成しているということになります。

 

茶に置き換えてみると・・・

これを茶に置き換えてみると、同じようなことが言えます。

茶畑で収穫される生葉は、成育中の気候・環境や茶摘み・製茶当日の天候の影響を受けます。
たとえば、晴天が長く続けば、香りの高い烏龍茶になるかもしれませんが、雨が続いている中で茶摘みを強行すれば、香りが乗らない、などです。
このような生葉を製茶することによって、茶葉となるわけですが、当然その品質は、生葉の出来に依るところが大きいものです。
農産品であるお茶というのは、製茶段階においては、唯一無二のものになります。
こうした違いを理解した上で、そのままの状態のものを味わうのが、いわゆる”シングルオリジン”のお茶であったり、”単一ロット”のお茶ということになります。

しかし、これには産業的に見れば、大いなる欠点があります。
それは”良く出来たものとそうでないものの品質差が激しい”ということです。
「あるロットは当たりであるが、あるロットの品質は劣る」という状況が出てきてしまいます。
同じ商品としてパッキングされて売られているものが、「あるものは美味しく、あるものはそうでは無い」となれば、消費者は安心して購入出来ません。

また、1ロットごとの生産量は数kgに過ぎないということも出てきます。
これでは、大口の需要には応えられません。たとえば、チェーン店の複数の店舗に同一品質の商品を卸すということは不可能になってしまいます。
品質が違うとなれば、共通した宣伝・プロモーションを行ったりすることもできなくなるので、規模の経済性を活かすことが出来ません。

そこで、伝統的に茶業界では「問屋」という存在があります。
生産者や市場から荒茶を買い付けて、茎や茶末を取り除き、ブレンド・合組や火入れなどの仕上げを行うことで、一定量の均質な商品を生産するわけです。
このような「問屋」の存在があることで、茶葉の安定供給が図られるわけです。
このステップを経ることで、茶は農産品から、規格化された工業製品としての様相も持つことになります。

規格化された商品となると、往々にして相場が形成されます。
需要と供給による相場ももちろんありますが、台湾などでは大まかな生産コストから割り出した相場で推移することが多い印象です。
たとえば、阿里山茶区の春茶、青心烏龍品種の清香型烏龍茶であれば、梅山地区であれば大体1斤○○元。樟樹湖周辺であれば、1斤××元、のような感じです。
大体、このようにして相場が形成され、台湾の場合であれば、ほぼ相場通りの値段で取引されることが多いです。

もちろん、業態によって、その掛け率は変わってきます。
1斤単位で販売する問屋と150gや100g単位で販売する小売店、綺麗なパッケージに包装することを必須とするブランド店では、販売管理費が全く違うので、これは当然です。
しかし、その価格設定のベースには、生産コストに基づく相場が適用されているように感じます。

 

相場がほぼ上に動かない台湾の茶業界

ここまで、類似点を見てきましたが、明らかに違う点もあります。
ここでようやく、タイトルにしている、台湾の茶業界の話に繋がります。

明らかに違う点とは、「相場が硬直化しており、上には動かない」という点です。

どういうことか?というと、たとえば今年の春茶です。
今年の春茶は深刻な雨不足の影響を受けて、多くの茶産地で大幅な減産となっています。
「今年は収穫量が3~4割減である」と証言する生産者もおります。

一般的な自由市場であれば、大幅な減産=供給が著しく減るわけですから、価格が高騰しても不思議ではありません。

しかし、不思議なことに値段は、ほぼ上がっていないのです。
問屋に行けば、いつも通りの価格でお茶がラインナップされていますし、小売店の店頭価格もほぼ変わっていません。
茶農家さんのところに買いに行っても、「今年は量が少ない」と言いながらも、伝えられる値段は上がっていません。
品質も大して落ちているようには感じられません。

買う側としては大変有難いのですが、物理的に無理なことが、なぜかまかり通ってしまっていることに、いささか恐ろしさがあります。
たぶん、社会主義市場経済の中国であれば、簡単に値上げをしていると思うのですが・・・

この理由は、台湾茶のボリュームゾーンを担っている問屋の茶葉の値段が動かないこと、すなわち相場が硬直化していることにあると思われます。
価格を握っている人たちが値上げをしないのであれば、それに追従するしかない、という心理です。
しかし、このことは手放しで「素晴らしい企業努力!」とは言いがたいのです。
なにしろ、この状態が、経済成長に伴う人件費上昇などがあったにも関わらず、何年も続いているからです。

 

なぜ相場が動かないのか?

おそらく、大手の茶業者・問屋の対応としては、価格を変えずに減産に対応するなら、

・味に影響が出ない程度にブレンドを変更する

という一択しか無いと思うのですが、採りうる選択肢が限られています。

a.当年度産のみではなく、前年度のお茶も含める
b.影響の少なかった産地のお茶をブレンドに組み込む
c.国外産の出来の良いお茶をブレンドに組み込む

ぐらいかと思います。

a.について言えば、台湾の問屋などでは、烏龍茶というお茶の性質上、そこまで新茶推しをしないので、決して有り得ないことではありません。
大手の問屋の茶葉は極端な清香型のお茶が無く、焙煎がある程度掛かることがほとんどなので、このようなコントロールは得意分野かと思われます。
正直、これが一番、味に与える影響が少なく済みそうですし、妥当な解決策かと思われます。

b.については、範囲が広範に及んでいるので、なかなか難しいと思います。
永年性の常緑樹である茶樹から採れるお茶は、急な需要の増大に迅速に対応出来る商品ではありません。
小口でコツコツ集めていくということもできるかもしれませんが、台湾全体のお茶の生産量が減少傾向にある中で、浮いている在庫があるとは考えにくいです。

c.については、消費者の気持ちとしては、もっとも起こって欲しくないケースかもしれません。
しかし、問題をもっとも容易に解決出来るのは、実はこの方法だと思われます。
価格の維持を優先するか、台湾産であることを優先するか、という厳しい選択を突きつけられている問屋も出てくるかもしれません。

いずれにしても、中古車業界とは異なり、台湾の茶業界は、純粋な市場原理に依っていない状況にあるのは間違いなさそうです。

※なお、製品の良し悪しが専門家では無いと分かりづらい(事故車などの見極めが出来ない、車検の妥当な金額が分からない等)というのは、中古車業界と茶業の共通点でもあります。
このあたりは以前のブログでご紹介しています。

 

農産品を相場だけで語ることは正当か?

もう一つの大きな違いは、車は一部のオーダーメイドの車を除けば量産化された工業製品ですが、茶葉はあくまで農産品だということです。
農産品は、規格化にも限界があり、均質さよりも、より幅広い品質差が生まれやすいものです。

均質な量産品の使用され方で生まれる中古車の”程度”の差と、原料そのものに影響がある環境や気候が左右するお茶の”品質”の差は比較にならないほど大きいのです。
同じ凍頂烏龍茶というカテゴリーだったとしても、それは車種の中でのグレード差や使用感の差程度の話では無く、エンジンの排気量が軽自動車と4リッター級の高級車ぐらいの違う、という話なわけです。

この点を無視して、一律に相場通りの価格で販売されている状況というのは、少し奇異なものに感じられます。

たとえば、素晴らしい環境の茶園で、地道な茶園管理を続け、最高の天候に恵まれた、抜群に出来の良い阿里山烏龍茶があったとしましょう。
このお茶が、どんなに抜群に美味しいお茶であったとしても、ほとんどの場合は、同地域のその他大勢のお茶と価格が変わることはありません。

唯一の例外は、品評会などで入賞することで、この場合は、主催者が決定していた規定の料金で販売されることになります。
特等賞などを取れば、相場の数十倍の価格で販売できる可能性もあります。

しかし、”品質の良いお茶に高値をつける”という、至極当たり前のことが品評会を介さないと出来ない、というのは、やや不自然に感じます。

 

与える価値に見合った値付けの大切さ

個人的には、生産者の方から「このお茶には、通常の相場のお茶を上回る品質がある。だから、通常の相場の2倍の価格をつける」ぐらいの強気の姿勢があっても良いように感じます。
控え目な方が多いからなのか、「自分の生産した商品の価値に見合った値付けをする」ということに消極的な方が多いようにも感じます。
またバイヤー側の方でも「このお茶の相場はこれくらいですが、私が思うには、このお茶にはそれ以上の価値があります。だからこの値段で買わせていただきます」というような、相場以上の値段で買う、という方が出てこないものか・・・とも思います。

「100円ショップでお皿が買えるのだから、お皿は100円で買えて当然だ」という消費者の声に合わせ、陶芸家の方が100円の値付けをしてしまったら、とても生活など出来ません。
陶芸家の方は、少量生産でしか出来ない品物や技法で、より高い品質や別の付加価値を産み出すところに価値があります。
そこを全うするためには、やはり値付けは重要だと感じます。

”相場”というのは確かに大量生産・大量消費の世界では、非常に有用なものです。
しかし、それとは違う少量生産・愛好家消費の世界では、別の軸による”相場”が形成されることが必要なのではないかと感じます。
大衆車の中古車相場と、ビンテージカーの中古車相場が違うのと同じことです。

 

次回は8月16日の更新を予定しています。

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