第187回:【茶のテロワールと土壌のサイエンス・前編】海底隆起のロマンと茶樹が育つ「表土」

【新連載:茶のテロワールと土壌のサイエンス】前編:海底隆起のロマンと茶樹が育つ「表土」

極上の一杯のお茶は、優れた品種の茶樹と、それを力強く育む「土壌」があってこそ生まれます。
近年、中国茶や台湾茶の世界でも「テロワール(生育環境)」という言葉が広く使われるようになり、お茶の華やかな香気や深い余韻が、茶樹の育った土地に由来することは、多くの愛好家が知るところとなりました。

しかし、テロワールの根幹をなす「土壌」そのものについて、私たちがどれだけのことを正確に理解しているかというと、実は非常に曖昧な知識にとどまっているのが実情です。

インターネット上や一部の販売サイトでは、「この茶山は太古の海底が隆起してできたから、ミネラル豊富なアルカリ土壌である」といった、ロマンチックではあるものの、科学的な事実から大きく逸脱したストーリーがまことしやかに語られることも少なくありません。

お茶の奥深い世界を楽しむ上で、情緒や伝説も一つの魅力です。
しかし、現代は植物生理学や土壌学が発展し、最新の生化学研究によって「なぜこの土地で、この美味しいお茶が育つのか」がデータとして解明されつつある時代でもあります。

そこで本連載では、最新の科学的知見を交えながら、お茶のテロワールを形作る「土壌のサイエンス」を基礎から紐解いていきます。
第1回となる今回は、壮大な地質のロマンと、茶の木が実際に根を張る「土壌」の決定的な違いについて解説します。

名産地に眠る「地質のロマン」

中国茶を代表する名産地は、しばしば特異で壮大な地質学的背景を持っています。

例えば、極上のプーアル茶を生み出す雲南省の茶山の一部には、数千万年前の「海底隆起」によって形成された石灰岩質などのカルスト地形が広がっています。
また、圧倒的な岩韻(余韻)で知られる福建省・武夷山の「武夷岩茶」の産地は、白亜紀の激しい火山活動と、太古の巨大な内陸湖の底で堆積した「湖成層」が隆起してできた赤い岩々(丹霞地形)で構成されています。

「太古の海や巨大な湖、そして火山活動が生み出した地層から、豊かなミネラルが受け継がれている」——これは紛れもない事実であり、お茶のテロワールを語る上で非常にワクワクするロマンです。

しかし、ここからが問題です。
この壮大な歴史を背景にして、「基岩(深い地層の岩)」がミネラル豊富でアルカリ性寄りだからといって、今の茶樹が育っている「土」もアルカリ性である、と思い込んでしまう大きな誤解が発生しているのです。

まずは、この誤解から解いていきましょう。

「基岩(母岩)」と「表土」のタイムスケール

この誤解を解く鍵は、時間のスケール(タイムスケール)にあります。

私たちが目にする壮大な岩山や地層は、地質学用語で「基岩(あるいは母岩)」と呼ばれます。
これは数千万年〜数億年という途方もない時間をかけて形成された地球の骨格です。

一方、茶の木が実際に根を張っているのは、その岩盤の上を覆っている数センチから数十センチの「表土(土壌)」です。
この表土は、岩石が風や雨によって砕け、動植物の死骸や微生物の活動と混ざり合いながら、数万年という単位でゆっくりと作られてきたものです。
数万年もの間には、あまりにも多くの変化が生じているはずですから、「太古の海底だった基岩の性質」と「今現在、茶の木が育っている表土の性質」をそのままイコールで結ぶことは、科学的に見ると、少し飛躍しすぎであると思われます。

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激しい雨が土を変える「溶脱作用」

「基岩」にあった太古の岩石が「表土」に変わる過程で、何が起きるのでしょうか。

雲南省や福建省など、良質な茶産地の多くは、年間を通じて非常に多くの雨が降ります。
この大量の雨水は、数万年という長い年月をかけて土壌を洗い流し続けます。
これを土壌学では「溶脱作用(ようだつさよう)」と呼びます。

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雨水が土を通過する際、表層付近にあった落ち葉や枝など多くの有機物を含む肥沃な養分は、表層(図のA層)から地中深く(図のB層)に移動していきます。

また、土の中に含まれていたカルシウム、マグネシウム、カリウムといった「アルカリ性のミネラル」は、水に溶けやすい性質があるため、どんどん土の奥深くへと洗い流されて(溶脱して)しまいます。
「アルカリ性のミネラル」たちは、土の中で「酸性を防ぐ中和剤」の役割を果たしています。
激しい雨によってこの中和剤が失われてしまうため、アルカリ成分が流れ出てしまった後のこれらの土壌は、例外なく「酸性」を示すようになります。

土の中のアルカリ成分は水に溶けて流されてしまいやすいのですが、鉄やアルミニウムは水に溶けにくいため、砂金採りで重い金が底に残るように、土の中に「居残り」をします。

水はけの良い土の隙間には、空気がたっぷり入ります。
居残った鉄分がこの空気(酸素)に触れることで、自転車が錆びるのと同じように「赤いサビ(酸化鉄)」に変わります。

沖縄の赤土や、雲南省・武夷山の赤い土壌は、長い年月をかけて「洗い流し」と「サビ」が繰り返されてできた、究極の酸性土壌なのです。

プーアル茶が育つ雲南の茶山も、武夷山の岩だらけの茶畑も、茶樹が根を張る土壌のpH(水素イオン指数)は4.5〜5.5程度の典型的な酸性土壌です。

もし一部の方が主張するように土壌がアルカリ性(pH 7.0以上)だったとすれば、茶の木は鉄分などの必須微量要素を吸収できなくなり、「クロロシス(黄化現象)」を起こして最悪の場合は枯死してしまいます。

【補足:なぜアルカリ土壌だとお茶は枯れてしまうのか?】

植物が栄養分を取り入れるには、根っこから吸い上げます。
喩えるならば、植物の根っこは『ストロー』のようなものです。

土の中にあるミネラルを吸い上げるには、ミネラルが必ず水に溶けた『イオン(液体)』の状態になっている必要があります。
固形のままでは、ストローに詰まって吸うことができません。

茶の生育に適した酸性の土壌では、鉄分は水に溶けやすい『二価鉄()』というイオンの状態でたっぷりと漂っています。
お茶の木はこれを、栄養満点のスープのようにストロー(根)からゴクゴクと飲み干すことができます。

しかし、土壌がアルカリ性に傾くと、土の中に増えたアルカリ成分(OH−)が、鉄と強力に結びついてしまいます。
すると鉄は、水に溶けない『水酸化鉄』という固まりに変化してしまいます。

これは要するに『赤サビの塊』です。
液体のスープだった鉄が、カチカチのサビに変わってしまうため、お茶の木はストローで吸い上げることができず、目の前に鉄があるのに『鉄欠乏』を起こしてしまうのです。

鉄が不足すると、お茶の葉は葉緑素を作れず、緑色を失って白や黄色になってしまいます。この症状を「クロロシス(黄化現象)」と呼びます。
葉緑素がなければ十分な光合成ができず、自ら生きていくための栄養を作り出すことができないため、最悪の場合、茶樹は餓死するように枯れてしまうのです。

「アルカリ土壌の茶畑」というものが植物生理学的に存在し得ない最大の理由が、ここにあります。

陸羽『茶経』が示すテロワール〜「爛石」と「黄土」の科学

「雨でミネラルが流されてしまうなら、なぜ名産地のお茶はあんなにミネラル感(余韻)が豊かなのか?」と疑問に思われるかもしれません。
その答えは、約1200年前に陸羽が著した世界最古の茶の専門書『茶経』の中に隠されています。

陸羽は茶の育つ環境について、「上者は爛石(らんせき)に生じ、中者は礫壌(れきじょう)に生じ、下者は黄土(こうど)に生ず」と記しました。

「爛石」とは、風雨によってボロボロに崩れた岩石のことです。
武夷山の最高級品(正岩茶)が育つ環境は、まさにこの爛石がゴロゴロと転がる崖の下です。

爛石の多い土壌は、土の粒が大きく、雨が降ればサーッと水が抜けていってしまいます。
良く言えば「水捌けが良く、通気性が良い」と言えますが、悪く言えば、「水持ちが悪い」となります。
このような環境では植物は必要な水分・養分を確保できるよう、深く根を張ります。
結果、茶葉の中には様々な栄養分が十分に詰まったものになり、お茶の味わいには厚みや余韻が生まれます。

一方、「黄土」は岩石が完全に分解され、粒が細かくなった粘土質の土を指し、川沿いの平地(洲茶など)に多く見られます。
こうした土壌では、良く言えば「水持ちが良い」となりますが、悪く言えば、「水捌けが悪く、通気性も悪い」となります。
根を深く張らなくても、水分自体は得ることが出来ますが、空気を通さない土壌では根の生育が悪く、また土壌自体のミネラルも既に抜け落ちています。
結果、茶葉の中に含まれる養分には偏りができ、単純で平坦な味になってしまいます。

最新の科学は、この陸羽の経験則が見事に正しかったことを証明しています。

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岩石は「天然のサプリメント」

岩石は、長石など様々な鉱物によって構成されていますが、これらの鉱物は水(雨水)と接触すると化学反応を起こします。
水分子が鉱物の結晶格子に入り込み、その構造をじわじわと壊していくのです。

この時、結晶の中に結合していたカリウム(K)、ナトリウム(Na)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)などが、水の中に「イオン」として溶け出します。
岩石を「ミネラルの入った硬い飴」だと想像してください。水に触れることで、表面から少しずつ成分が溶けていくような状態です。

特にお茶が好むような酸性の土壌では、茶樹が放出したプロトン(水素イオン:)が豊富に存在します。
この水素イオンは非常に反応性が高く、岩石の硬い結合を文字通り「攻撃」して切り離します。
茶樹が自ら土壌を酸性に保つことは、実は「周囲の岩石からミネラルを効率よく溶かし出すための生存戦略」でもあるのです。

崩れたばかりの岩石(爛石)の断面は、数千万年ぶりに空気に触れたフレッシュな「ミネラルの宝庫」です。
この新しい岩石の断面に、雨水や茶樹の根が分泌する酸が触れることで、岩の内部からカリウムやマンガン、マグネシウムといった微量ミネラルが少しずつ、しかし確実に溶け出してきます。

つまり、武夷山の爛石は、大自然が数十年かけてじわじわと効かせる「超スローリリース型の天然サプリメント」として機能しているのです。

対して、川に流されてきた細かい土(黄土)は、すでにミネラルが溶け出しきった後の「出がらし」に近い状態です。
さらに粒が細かすぎるため水はけが悪く、根が呼吸しづらくなり、お茶の味わいも平坦になってしまいます。

基岩が素晴らしいだけでなく、それが「常に新鮮な断面を保ちながら、酸性土壌の中で少しずつミネラルを放出し続けている物理的環境」こそが、真のテロワールの正体なのです。

まとめ:土壌の真の姿を知る

今回のまとめです。

  • 太古の地質(基岩)のロマンと、茶樹が育つ「表土」の性質は全く別物である。

  • 豊富な雨による溶脱作用により、名産地の表土は例外なく「酸性土壌」である。

  • 「アルカリ性だから美味しい」のではなく、「酸性土壌の中で、崩れゆく岩石が新鮮なミネラルを供給し続けている」のが真実である。

さて、土壌が酸性であることはお分かりいただけたかと思いますが、ではなぜ「カルシウムやカリウムといった『アルカリ金属』が含まれているのに、土は酸性なのか?」と不思議に思う方もいるでしょう。

次回、中編【化学編】では、この最も大きな誤解の源である「アルカリ金属=アルカリ性」という言葉の罠について、身近な飲料の例を用いて鮮やかに解き明かします。
どうぞご期待ください。

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