第104回:知識は広めるからこそ価値がある

「中国茶基礎講座」、10ヶ月をかけて完結

昨年の11月から、月に1回の予定でスタートした「中国茶基礎講座」。
新型コロナウイルスの流行などを受けての中断などのアクシデントはありましたが、当初の予定通り、8月に最終回の第10回を開催し、無事に完結しました。

この講座を始めようと考えた経緯については、以前、こちらの記事でも少しご紹介しています。

この講座は、上記の記事にあるように、2000年前後の中国茶ブーム以来20年ほど、ほとんど進歩していない中国茶の伝え方を、全く新しいコンセプトに書き直すつもりで作成した講座です。
これまで出版されてきた、さまざまな中国茶の入門書だけでなく、専門書等でもきちんと書かれていない部分を敢えて掘り下げる。
そして、しっかりとした中国茶の知識の土台(”入門編”という意味の「基礎」ではなく、本来の意味での「基礎」)を形作ることに挑戦したわけです。

知識というものは、最初の土台が肝心です。
揺らぎのない、しっかりとした根拠の上に知識を積み重ねていかなければ、どんなに苦労して勉強したとしても、砂上の楼閣になりかねません。

 

たとえば六大分類をこう説明する

たとえば、「たくさんの種類がある中国茶は、色の名前のついた六大分類で分類できます」とだけ説明をするのでは、ただの蘊蓄です。
今後学ぶ上での知識の土台とするのであれば、しかるべき場所で合意形成がなされたことや科学的根拠を元に、中国茶というよりは、世界各国で生産されている茶について論じなければなりません。

今回の講座では、まずベースにしたのは、世界的な国際標準化機構(ISO)による、緑茶や紅茶の国際基準です。
世界中のほとんどの国の機関がISOに加盟していますから、まさに世界標準です。
これが間違いであったら、世界が回らなくなりますので、おそらくかなり正しい根拠になり得るでしょう。

特に参考にしたのは、緑茶について記述されている『ISO 11287:2011  Green tea-Definition and basic requirements』と紅茶について記述されている『ISO 3720:2011  Black tea-Definition and basic requirements』という2つのパブリックな文書です。
この文書を対比しながら読むと、

・茶とはカメリア・シネンシスを原料とした飲用に適したものであること。
・緑茶と紅茶は、不発酵や全発酵などという言葉で分類しているのでは無く、製法によって分類しているということ。

が書かれていることが分かります。
国際商品となっている「茶」を論じる上では、すべからく、この大前提から入らなければなりません。
最も揺るぎない根拠と思われるこの文書の存在を飛ばしてしまったら、根拠に結びつかない知識であり、不安定な知識になります。

さて、中国では、お茶に関して「国家標準」というもので、様々な定義を明確化しています。
国家標準『茶葉分類』GB/T 30766-2014というお茶の種類について定義している文書を見てみると、緑茶と紅茶についてはISOの規格とほぼ同じ内容が書かれています。
この点から見るに、中国においては国際基準とほぼ同じ基準で茶の定義化が進められているようです。

どこかの誰かが書いた本では無く、国際的な基準との整合性も取れており、国家が出している極めて信憑性の高い文書があるわけです。
そのような明解な文書があるのですから、仮に六大分類を知識として伝えるのであれば、独自の解釈を伝えるのでは無く、この文書に書かれていることを忠実に伝える必要があります。
それが一番、正確な定義を説明することになるでしょう。

この文書では、先のISO基準における緑茶・紅茶と同様に、白茶、黄茶、烏龍茶、黒茶は製法の違いを根拠に分類するとされています。
そこには日本でお馴染みの微発酵茶、弱後発酵茶、半発酵、後発酵茶のような用語は出て来ませんし、発酵度などという概念も出てきません。
何より青茶という言葉は、中国ではほとんど使われておらず、死語同然です(台湾では使っていますが)。

「分かりやすいから」「イメージしやすいから」という理由で、適当な言葉や発酵度の数字を当てはめてみたりするのは、現在の世界的なお茶の学問的定義から大きく外れているということです。
教えている立場の方が、「従来からそう説明されているから」という理由でこれらの用語で説明を続けるのであれば、「それは本当に正しい知識を伝えていると言えるのか?」「講師として誠実な態度か?」「講師側の知的怠慢では無いのか?」と自問自答するべきでしょう。

 

世間の常識を捨てて、書き直すことは難しい

今の話は、上から目線の説教でも何でも無く、実際、私がそのように自問自答したものです。

とはいえ、「それは良くない」と分かったとしても、現実問題として、それを切り替えるのは容易ではありません。

なにしろ日本語でこのような内容を記述したテキストが、この世に存在していないのです。
テキストが無ければ、伝えることはできません。

傍から見れば、「無ければ書けばいい」と思うのですが、しかし、テキストを書くというのは、そう簡単ではありません。
文章というのは読むのは簡単ですが、書くのは命を削る思いで書くものです。
もっとも、得意分野だけ書き散らすのは比較的誰でも出来ます。
が、幅広い分野を体系化して書くというのは、知識と情報量の多さはもちろんのこと、それぞれの知識がどう関わるかという理解の深さも問われます。
実際に書こうと手を動かしてみれば、よく言われる「入門書は碩学にしか書けない」という言葉の重さを痛感します。

無責任に「誰か書いてくれ」と思うのですが、待てど暮らせど誰も書いてくれないので、もはや自分で書くしかありません。
でも、その実力が無いので、一歩一歩進んで実力をつけていくしかありません。

まずは「標準を読む」という講座で、中国のお茶の定義を伝えながら学びました。
この講座については、どこかで勉強したことがある方向けに絞ることで、比較的噛み砕かなくても、理解をしていただけたようです。
何よりも、この講座の内容を全国で何度も話すことによって、私自身の理解度が深まりました。まさに「伝えることは学ぶこと」です。

日々の中国の茶業界のニュースを読み込んでいることも、非常に有効に働いています。
知識見識の深さは結局のところ、どれだけの情報をインプットし、またアウトプットしたかということによります。
そのようなトレーニングを地道に積み重ね、その効果がようやく出てきているからこそ、世間の常識に依ったものではない、新しいテキストが書けたのだろうと思います。
10冊156ページに渡るテキストは、そうやって出来たものです。

 

知識は広めるからこそ、価値がある

「苦労して作ったものだからこそ、それを秘伝として来てくれた人だけに届ける」という考え方もあるのですが、私はそうは思いません。
知識というのは、やはり広まってこそ価値があると思います。
「自分が苦労して作ったから、自分のものだ」とするのではなく、多くの人にどんどん使ってもらいたい。
そうすることで、より多くの人が高みに到達できる、と考えています。

そのための方法論としては、どんどん知識をオープンに広めていきたいと思っています。
たとえば、講座の立ち上げで少し停滞しておりましたが、3月に立ち上げたサイト「Teamedia」には、講座で伝えている多くの内容が書かれています。
それを読めば、ある程度のことは理解できるようになるでしょう。

もっとも、講座でお茶を飲んだり、話を聞いたりして「体験」した方が、より強烈なインパクトは残るでしょう。
しかし、コロナの影響で外出を敬遠する向きもあるので、10月からはオンライン講座も開いて行きたいと考えています。
また、エッセンスの一部は動画の方が分かりやすく伝えられる面もあるので、YouTubeを使っての情報発信も、まもなく開始する予定です。

色々な形を使って発信していくことで、さらに見識を高めて、より確かな情報をお伝えできるようにして行きます。
機会があれば、書籍などの形で「新しいお茶の学び方」を広めていくことができればと思っています。

 

次回は9月16日の更新を予定しています。

関連記事

  1. 第69回:中国の「茶旅」の現状報告(3)雅安茶廠

  2. 第77回:パッケージを含めた購買体験の最適化

  3. 第13回:日本人御用達のお店の売れ筋は・・・

  4. 第44回:対面販売の意義とは?

  5. 第131回:今、中国茶の教科書を書くとしたら・・・

  6. 第93回:想像以上に順調な中国の茶産地

無料メルマガ登録(月1回配信)