第14回:ペットボトル茶から見えるもの

日本の茶業者さんにお話を聞いたとき、「私はペットボトルのお茶なんて一切口にしません」という方がいらっしゃいました。
「あのようなものは、お茶ではない」と。

こういう主張をされる方は意外に多いのですが、これについて少し考えてみたいと思います。

 

茶飲料の進化の歴史

お茶が缶やペットボトルの形で売られるようになってから、歴史的にはそれほど長くはありません。

茶飲料の登場以前、「外出先でお茶を飲む」というのは、実に至難の業でした。

かつて長距離列車のお供といえば、汽車土瓶やポリ容器に入ったお茶でした。
これで旅情を感じた方もいらっしゃるでしょう(このエピソード、世代で反応が分かれそうな気がします)。

もっとも、純粋に道具あるいは味という面で見ると、課題の多いものでした。
まず、重かったり、形状が不安定だったり、樹脂のにおいがあったり。
この時代に戻りたいですか?と聞かれたら、個人的には遠慮したいところです。

ほんの少し前を思い返せば、こんな時代だったのです。

「どこでも気軽にお茶が飲めるようになったら、茶の消費は増えるのではないか」と考えるのは、茶業者の方なら、当然の発想だと思います。
消費者の方でも「いつでもどこでもお茶を飲めたら」と思っていたのでしょう。

ニーズがあり、市場が見込めたからこそ、「茶飲料」というものは生まれたのでしょう。

 

最初は紙パックのお茶が出てきて、伊藤園が1981年に缶入りの烏龍茶を発売。
その4年後に、缶入りの煎茶が発売されます。
この研究開発には約10年もの歳月がかかったとのことで、まさに画期的な大発明であったといえます。

さらに1990年には大容量ペットボトル、1996年には500mlサイズのペットボトルが発売されます。
軽くて持ち運びに便利で、キャップも付いているペットボトル飲料は、好きなときに好きなだけお茶を飲むことができるという点で、非常に斬新な商品でした。
お茶の消費の仕方を革命的に変えてしまった商品だと思います。

ここへ至るまでには、お茶の酸化による劣化をどう防ぐかという点や、抽出技術などの課題をクリアする必要がありました。
それをメーカー各社が創意工夫で克服し、さらに品質向上に取り組んでいった結果、現在のような茶飲料市場が形成されるに至りました。

まさに「どこでもお茶を飲めたなら」という思いと、地道な技術革新によって形成されたのが、茶飲料の市場なのです。

 

確かに品質が劣っていた時代も

茶飲料は技術的な高いハードルを越えての商品開発でした。
初期の製品が、リーフから淹れたお茶と比べると、品質的に劣ることは、仕方なかったことだろうと思います。

中国や台湾などでは、まだ技術的に未熟なメーカーの製品に出くわすことがあります。
そのような製品を飲んでみると、粉末茶を使用しているので粉っぽかったり、酸化防止の措置が不十分で酸化した味わいになっていたり、香りが飛んでしまっていたりします。

こういう商品を飲むと、お茶という繊細な味わいと香りの飲料を、ペットボトルに収め、常温で流通させるということが、いかに難しいかを痛感させられます。
と同時に、日本のメーカーの技術力の高さに感心させられます。

日本でも茶飲料の出始めの頃は、このような製品が多かったのかもしれません。
その出始めの時代のイメージを強く持っている人にとっては、「茶飲料など飲むに値しないものだ」と見做されているのかもしれません。

 

茶飲料はお茶の日常化を促したが・・・

繰り返しますが、汽車土瓶やポリ容器の時代まで遡ってみれば、外でお茶を飲むというのは、いかに困難だったことか。
それを実現可能にした飲料化は、茶の消費量には大いに貢献しているのではないか、と思います。

また、もし簡便に茶を飲むことのできる茶飲料がなければ、若い人が「茶を飲む」という選択肢を残していたかどうかすら疑問です。
蓋をひねれば飲める飲料がたくさんあるのに、お茶を淹れるというステップが必要な「茶」を選ぶ理由付けは相当難しかったでしょう。

良くも悪くも、茶飲料は既に日本の現代の茶文化の一部を構成していると言えます。
風流でないとか、そういう問題ではなくて、それが日本の茶の消費の一形態になっているのです。

 

茶業界全体という目で見れば、茶飲料の貢献には感謝の声があっても当然です。
ところが、これを目の敵にする茶業者は結構多いのです。
個人的に、これは、いささか短絡的に過ぎるのではないか、と思います。

 

外出先で飲むお茶だけでなく、家庭や職場で飲まれるお茶までリーフティーから茶飲料に置き換えられてしまったことが、一部の茶業者さんには我慢がならないのかもしれません。
が、これは先にも述べたように、飲料メーカーが地道な技術開発や消費者へのマーケティングに多額の投資を続け、それが実った結果です。
他者が努力して勝ち取った成果にケチを付けるのではなく、どこが間違っていたかを振り返り、これからどうすべきかを冷静に考えるべきでしょう。

 

茶飲料は今や消費者が持つ「茶のイメージ」に

茶飲料の技術革新は、ずっと続いています。
抽出技術の進歩などで、いまや「下手に素人が淹れるよりも美味しいのではないか」と感じるものも多く出ています。

消費者の中には、自分で淹れて失敗し、美味しくないお茶になるぐらいなら・・・ということで、茶飲料を選んでいる人もいるかもしれません。

こうした人たちが増えてくれば、日常的なお茶は、蓋をひねればすぐに飲めるという茶飲料しか考えられなくなります。
そこに特別の価値を見出すことが無ければ、水が高いところから低いところへ流れるように、人は自然と簡便さを求めるものです。
茶を淹れて飲むことに特別の価値を持たせられないままなら、お茶の飲料化比率は、ますます高まっていきます。

飲料化比率が高まれば、消費者が持つ「お茶の味」のイメージは、「丁寧に淹れたリーフティーの味」のイメージから、「飲み慣れた茶飲料の味」のイメージへと変わっていきます。
人は実際に体験したものしかイメージできません。
リーフティーを飲んだ体験に乏しければ、それをお茶本来の味と感じるのは無理な相談なのです。

 

こう書くと、茶業者の方の中には「嘆かわしい」と感じる方も多いと思います。

しかし、これが現実です。

ビジネスの世界に生きる人であれば、まずは現実を受け止める必要があります。
その現実を認めた上で、「何が出来るのか」を考えなければいけません。
これは業種を問わず、全てに共通する真理だと思います。

 

茶飲料の味は消費者の嗜好を反映している

飲料メーカーの商品開発は、大きな売上を作っているだけに、たいへん綿密な調査の上に成り立っています。

消費者が日頃どのような食事をしていて、どのようなお茶ならば、それに合うかという調査をしたり。
リサーチ会社に依頼して、消費者モニターを集め、そうした人々に試飲をさせて反応を探ったり、パッケージを見せて、選ばれるデザインを決定したり。

メジャーブランドになっている茶飲料は、多額のコストを費やして、そのような緻密な調査・研究を繰り返し、商品のリニューアルや新製品の発売を行っています。
さらに発売後も、売れ行きの調査などを続け、より消費者の好みに合う茶飲料を作るにはどうしたら良いかを専門のチームを配置して、日夜研究を続けているのです。

市販されている茶飲料製品は、そうした調査研究を行った結果、メーカーが「これならば消費者の嗜好に合うのでは?」という仮説として提案している商品です。
その味わいを確認してみることは、消費者が現在、茶に求めている味のイメージや嗜好を知ることにも繋がります。

 

たとえば、キリンの「生茶」。
最近のリニューアル前は、茶葉抽出物を付加することで、どちらかというと旨みなどを強調した味わいでした。
ところが、それが少し重たすぎる印象になっていたのか、売上的には他社の後塵を拝するようになっていました。
それが、最近のリニューアルでは、スッキリとしたクリアな味に変化。全く別物の味に生まれ変わっています。
肝心の売れ行きも、好調のようで、これを見る限りは、消費者が茶に求めるものは、濃厚な旨みから、クリアな味わいに変わっている、ということを示しているのかもしれません。

ちょっと意識して飲めば、このぐらいの変化は見て取ることが出来ます。

 

目の前にいる顧客の声を聞くのではなく、まだ見ぬ顧客の嗜好を知るのは簡単なことではありませんし、非常に多額のコストがかかります。
ところが、売れ筋のペットボトル茶を購入すれば、たかだか百数十円ほどの投資で、消費者の嗜好の変化の一端が掴めるのです。
これ以上に効率的な投資もないと思うのですが、いかがでしょうか。

 

次回は5月31日の更新を予定しています。

 

関連記事

  1. 第171回:「入門」と「基礎」の違いについて

  2. 第75回:流れは茶藝館からお茶カフェへ

  3. 第157回:現代の中国茶情報を理解するために必要な基礎知識とは?

  4. 第73回:2019九江国際名茶名泉博覧会

  5. 第88回:どう読むか?日本語ならではの問題

  6. 第121回:中国茶をお得に買えるのは、現地か国内か

無料メルマガ登録(月1回配信)