第185回:お茶の発酵で成分が変わるメカニズム

製茶の幕開け「水ストレス」と酵素の目覚め

前回の記事「第184回:お茶に肥料を与える理由」からの続きです。

農家が適切な養分(肥料)を与えて、生葉に蓄えさせた「巨大なタンパク質」や「香りの元」。
ここからは茶師の出番です。

摘み取られた茶葉は、日陰や室内で静かに広げられます(萎凋・いちょう や攤放・たんほう と呼ばれる工程)。
枝から切り離されても、葉は生き延びるために「呼吸」を続けており、その際に生じる熱(呼吸熱)を利用しながら、葉の表面からゆっくりと水分が空気中へ「蒸散」していきます。

この「水分が失われる(蒸散)」という物理的ストレスと、「エネルギーが消費される(呼吸)」という飢餓ストレスのダブルパンチによって、葉の中で最初の鍵となる「プロテアーゼ(タンパク質分解酵素)」が目を覚まします。

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アミノ酸を生み出す「味と香りの分岐点」

目覚めたプロテアーゼは、農家が作っておいた巨大な「タンパク質」を切り刻み、大量の「遊離アミノ酸」を新たに生み出します。
実はお茶の絶対的な旨味成分である「テアニン」は肥料から直接作られるため、ここで増えることはありません。
プロテアーゼが生み出すのは、別種の多様なアミノ酸です。

ここが、お茶の運命の分かれ道になります。

  • 味として残す(緑茶・白茶): この後に激しい発酵を行わないお茶は、生み出されたアミノ酸がそのまま葉に残り、テアニンの旨味に重なって「鮮爽(新鮮な旨味)」や「極上の甘み」を何倍にもブーストします。
    特に中国緑茶の場合は、この増えたアミノ酸が高温の釜炒り(殺青)で加熱されることで強烈なメイラード反応を起こし、栗や豆のような香ばしい甘い香りをも引き出します。

  • 香りとして燃やす(烏龍茶・紅茶): 一方、烏龍茶や紅茶にとってこの新たなアミノ酸は、ダイレクトな旨味というより、後の発酵や焙煎の熱が加わった瞬間に「複雑で甘い香り」へと大化けするための、いわば次なる魔法の「香りの火薬」となります。

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破壊が生み出す、圧倒的な香りの解放

萎凋が終わると、烏龍茶の「揺青(葉を揺すって擦り合わせる)」や紅茶の「揉捻(葉を揉み潰す)」といった、細胞に物理的ダメージを与える工程に入ります。
細胞の壁(細胞壁・細胞膜)が壊れることで、隔離されていた「二つの強力な酵素」が一気に溢れ出し、生葉の栄養成分と混ざり合います。
ここから真の「発酵」プロセスが始まります。

  1. 香りの職人「加水分解酵素(-プリメベロシダーゼ等のグリコシダーゼ)」 素晴らしい香りの成分は、生葉の中では糖と結びついて「無臭のカプセル(香気前駆体である配糖体)」に閉じ込められ、安全に貯蔵されています。この酵素はカプセルから重石である糖をチョキンと切り離し、華やかな香りを一気に空気中へ解放します。

  2. 色と味の職人「酸化酵素(ポリフェノールオキシダーゼやペルオキシダーゼ)」 太陽の光を浴びて作られた防衛物質「ポリフェノール(カテキン)」を、空気中の酸素と結びつけて酸化させます。するとカテキン同士が次々とくっつき合う「酸化重合」という反応が起き、「テアフラビン(オレンジ色の色素)」や「テアルビジン(赤褐色の色素)」といった、より大きくて複雑な成分へと変化していきます。
    これが、お茶の深いコクや、烏龍茶の輝く黄金色、紅茶の美しい紅い水色(すいしょく)を作り出すのです。

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「花」から「熟した果実」へ:発酵程度がもたらすマジック

この酸化(発酵)が進むにつれて、香りは「蘭のような青々とした花香」から、「桃や熟した果実、蜂蜜のような甘い香り」へと質的に変化します。
これは、発酵が進むほどに青臭い成分が揮発して、より重厚な香り成分(ゲラニオール等)が際立ってくること。また、先ほどプロテアーゼが作っておいた「香りの火薬(大量のアミノ酸)」が、発酵や熱によって複雑な甘い香りへと錬金術のように変化するためです。
烏龍茶の場合は、この発酵程度をコントロールし、さらに焙煎によるメイラード反応での香りの付加も可能となるため、多様な味わいを作ることが出来ます。

生化学に基づく「正確な製茶表現」の重要性

ここまでお読みいただくと、お茶の品質を語る上で、以下のような茶類の表現が極めて重要であることが理解いただけると思います。

  • 烏龍茶は「部分発酵」である: 単に発酵を半分で止めるのではなく、酸化酵素による過度な色の変化は抑えつつ、加水分解酵素を最大限に働かせて香りを爆発させる、極めて繊細なコントロールです。

  • 紅茶は「適正な発酵茶」である: 単なる完全発酵ではなく、例えば金駿眉などの美しい金色の水色と芳醇な香りは、二つの酵素の働きが「最も適正なバランス」になる瞬間を見極めた芸術です。

巷で言われるような、「紅茶は全発酵茶で、それを途中で止めれば半発酵の烏龍茶になる」のような説明は、製茶の生化学や現場での作業実態を見れば、有り得ない説明なのです。
また、紅茶も”適正な発酵茶”であると考えると、近年見かけることが多くなった、黄金色や橙色の発酵程度が浅い紅茶というのも、酵素の適正バランスを見極めた新しい種類の紅茶であることが明確に理解できると思います。

 

土から茶杯への壮大な成分リレー

最高の一杯のお茶は、農家が土壌と対話して「物質」を蓄えさせる農業から始まり、茶師が酵素や熱などを操って「香りと味」に変換する生化学のプロセスへと見事に繋がっています。
日本茶も中国茶も、植物の命のメカニズムに寄り添うプロフェッショナルの結晶です。
次にお茶を淹れる時は、茶杯の中に広がる壮大なリレーに、ぜひ思いを馳せてみてください。

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