第34回:日本のコンテスト茶は安すぎる

昨日、テレビ番組で日本茶の紹介がされていました。

そのなかで、1kg58万円の玉露という話が出ていました。なんでも農林水産大臣賞を受賞したお茶だったのだとか。
その玉露と碾茶をブレンドした80g32,400円のお茶を試飲するという内容でした。

番組の内容はさておくとして、番組側は「超高級茶」というキャッチで消費者を驚かせようという狙いだったのだと思います。
実際、タレントさんの反応も、そうしたものでした。

が、私の印象は全く別で、

「日本の最高のお茶とされるものでも、その値段にしかならないのか・・・」

というものでした。

 

中国では普通に店頭に並ぶ金額

1kg58万円を、中国の茶葉取引単位の1斤(500g)そして1元=18円のレートで人民元に換算してみると、1斤は約16000元です。

このくらいのお茶は、中国の著名なブランド茶葉店では普通に並んでいる金額です。

たとえば、武夷山の高級紅茶として知られる、金駿眉。
そのオリジナルを作った正山堂の特製金駿眉の1斤の定価は12800元(500gで約23万円)です。
これはコンテスト受賞茶でも何でも無く、通常の商品ラインナップの1つであり、普通に店頭に並んでいる商品です。

同じく武夷山の武夷岩茶。
マニアの間で最高級茶とされる、牛欄坑(※正岩茶地域の産地名)肉桂の市場実勢価格は、だいたい1斤1万元(500g18万円)程度です。
これもコンテスト茶ではなく、普通に売られている商品です。

鉄観音の高級品も、1斤1万元を超えてくることは珍しくありませんし、西湖龍井茶でも、特に著名産地の著名な作り手の明前一番茶となれば1万元を超えてくることはザラにあります。
プーアル茶ともなれば、ビンテージものでなくても、有名茶山の古茶樹プーアル茶になると、1枚1万元はゴロゴロある状態です。

これらは、いずれもコンテストのプレミアム価格になっていない金額です。
その金額がこのぐらいなので、冒頭にあるような印象になるわけです。
コンテスト受賞のプレミアムがついたら、この金額の数倍や数十倍になってしかるべきと感じるからです。

もちろん、「中国茶は1回あたりの煎が続くので、飲める量から考えると割安だ」という声だったり、「パッケージも含めた小売りの値段だろう」「中国はバブルだから一部の金持ちが買うのだろう」という反論もあるかもしれません。
しかし、日中の平均的な賃金水準や物価水準を考えてみてください。
日本のコンテスト茶が、いかに安すぎるかが分かると思います。

写真左は1斤6000元の安吉白茶。このぐらいの価格は、今や茶葉市場でも普通

 

高級茶に価値を感じる顧客層を育ててきたからこそ

中国においても、1斤1万元を超えてくる金額になると、現地では”天価茶(天价茶)”と呼ばれてしまうように、否定的な見方もあることは事実です。

しかし、その一方で、

「高級茶はそのくらいするよね。だって本当に小さな一芽一芽を丁寧に摘み、それを熟練の職人さんが丹精込めて作り上げるのだから」

と理解を示し、喜んで購入してくれる消費者を育ててきたという努力を見逃すことは出来ません。

冷静に考えてみれば、1斤12800元の金駿眉であっても、1回の茶葉の使用量は3g程度。
そうなると1回あたりの茶葉代は約2800円で、そこそこのワインを1本買う値段とそう変わりません。
その金額で、4,5人が何煎も味と香りを楽しめるのですから、むしろ安いぐらいだ、というのが効能ベースで見た価格のイメージです。

こういう感覚で、高級茶に経済的合理性を見出す消費者が存在しているのです。

これは偶然でも何でも無く、そこに膨大なコストを中国の茶業界は投じ続けてきたからです。

例えば、お茶の生育環境や製法などが分かるイメージビデオを映像のプロフェッショナルに作成してもらったり、メディアを通じた宣伝広告を行ったり、全国各地の茶業博覧会にブランドイメージを打ち出した豪華なブースを作ったり。
なかには、明らかにバブル的な支出があるのも事実ですが、それでも、こうしたマーケティング費用を投じ続けてきたからこそ、お茶の価値が分かる消費者層を育て上げ、高い茶価を実現できているのです。
全く茶を知らない消費者も、マスコミなどで流れる情報を通じて、各茶業者や茶文化の伝道師的な先生方にたどり着き、そこで行われる積極的な情報提供を受けることによって、ファンになっていき、茶への理解を深めていく、という流れができているのです。

中国の経済発展という追い風はもちろんあります。
が、茶業界が適切に手を打っていなければ、他の嗜好飲料であるコーヒーやワインに消費者が流れていた可能性もあったわけで、中国の茶業界が適切な手を打ったからこそ、現在の状況が生まれているのです。
※そもそも、中国では庶民の間で喫茶の習慣が長らく失われていたことも、きちんと見なければフェアではありません。

 

一方、昨今の日本の茶業界で、そこまで積極的かつ適切なマーケティング活動を行った会社は一体何社あるでしょうか?

分かりやすい指標として、たとえばテレビコマーシャルを流してきた会社は、数社程度にすぎません。
しかも、その多くはペットボトル飲料を作っている会社だったりします。
日本の新しい消費者が、こぞってペットボトル茶に流れるのは、その部分だけを見ても必然の結果なのです。
消費者は勝手に増えるものではなく、業界が戦略的に作って行くものです。

茶価を下げるためにマーケティングコストを削るのではなく、本来ならば、新しい顧客を開拓するマーケティングコストを捻出するために、大幅な生産調整をしてでも茶価を上げなければならなかったのです。

しかし、茶価を上げて購入してもらうためには、既存の売り方を変えていかなければなりません。
今までとは違う顧客を開拓する必要もあるでしょう。今までのやり方を廃棄する、痛みを伴う決断が要ります。
その困難から逃げ、新しい顧客を掴む努力とマーケティング投資を長期間にわたって怠ったがために、現在のお寒い状況が生まれています。

現在の日本の茶業不振の原因を人口減少や高齢化社会、あるいは景気動向のみに求めるのは間違いです。
日本の人口が減少に転じる前から不調なのですし、景況が良い時期にも不調だったのですから、これは構造的かつ戦略的な問題です。
とりわけ、価格戦略の誤りとマーケティング軽視によるところが大きいと思います。

 

茶業を志す若者が、その金額で夢を見られるのか?

話をコンテスト茶に戻します。

農林水産大臣賞という日本茶の中では最高の栄誉を得たお茶ですら、中国では普通に店頭に並ぶお茶レベルの値段しかつけられないというのは、非常に由々しき事態だと思います。

コンテストで最高賞を取れば、名誉を得るのと同時に十分すぎる実益も得られるというのが、プロフェッショナルがしのぎを削る世界では当然のことだからです。
上位に入賞しても、生産コストが掛かりすぎていて、販売価格では元が取れない、などということでは、茶業を志す若者が夢を見ることが出来ません。
夢を見られない業界に、優秀な人材がやって来るかは甚だ疑問です。

中国では、コンテストに名誉と実益の両方を与えて、事業者のやる気を引き出すとともに、コンテスト自体をマーケティングの手段と捉えて、テレビ局などのメディアにも盛んにPRしていますし、そのための飾り付けにも投資を厭いません。
コンテストはただの競技会ではなく、もっと業界的に重い意味を持ったものなのです。そこの発想がまるで違います。

なお、コンテスト受賞茶に高い価格を付与するという動きは、中国ばかりではありません。
台湾でも、同様の動きがあります。

たとえば、新竹県の東方美人茶のコンテストなどは、ここ数年、最高賞である特等奨の金額を年々引き上げています。
2012年は1斤(台湾の1斤は600g)16万元でしたが、2013年は26万元、2014年は30万元、2015年は36万元、2016年は42万元と段階的に引き上げ、昨年、2017年のコンテストの特等奨は1斤48万元(600gで約144万円)となりました。
現地でも「わずか1斤で、車1台が買える値段になった」と報じられていましたが、このぐらいの「夢を見られる報酬」は当然与えられるべきだと思います。

これは、一地方の一茶種のコンテストの話です。
業界の最高の栄誉ならば、もっと高くても良いぐらいだと思います。

このような話をすると、「こんな金額を出してお茶を買う消費者はいない」「夕張メロンの初競りみたいなものじゃないか」と言われるかもしれません。
が、業界の宣伝費と割り切ってでも、このくらいの報酬は当然出すべきなのでは無いでしょうか。
なにより、高価なお茶というのは、冒頭の番組のように視聴者への引きが強いとテレビ局は思っているのですから。
こうした情報がテレビで大きく流れることは、茶業を志す若者にとっては1つの目標となるでしょうし、外部へ向けたPRにもなります。

こういう高額な賞金などの費用を出すのも、業界のマーケティングコストの1つです。
もし、このコストが出せないのであれば、それは、今のお茶の値付けは適正価格ではなく、マーケティングコストを不当に削減した価格だということを意味しています。
もっとハッキリ言えば、本来はもっと高い価格で売るための工夫をしなければならないのに、その営業努力を怠って、安い価格で販売してしまっている、のです。

どうも日本の茶業者さんは、こういうおカネの話には与したがらないことが多いのですが、プロフェッショナルならば非常に大事なことです。
茶業者といえども、事業者であるなら茶人である前に商人でなければなりません。
そこで一番大事なのは、次の顧客をどうやって創造するか、という視点です。
端から見ていると、こういう議論が何故なされないのか、不思議で仕方ありません。

 

次回は2月9日の更新を予定しています。

 

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