第125回:個人の「経験」に頼りすぎない

中国茶の世界は独自理論が多い?

他の嗜好品の世界の方から言われることに、中国茶の世界は独自理論の方が多いというものがあります。
これは実際にそのように感じることも多く、たとえばA先生とB先生の主張が真逆だったりすることもあります。

このような反対の意見が交わされる事象について、少し考えてみましょう。

1つの物事に対しての、見解の相違である場合

まず、仮にA先生とB先生が、茶芸の作法の話で対立しているケースを考えてみましょう。
たとえば、高山烏龍茶のような丸まった茶葉の洗茶をするかしないか、ということでA先生とB先生の意見が分かれているとします。

初めてお茶を勉強する人にとってみれば、「どちらが正解かはっきりしてくれ」と思うかもしれませんが、この対立は「何を重視するか」の考え方の違いなので、十分に理解できることです。

A先生は洗茶をするべき派で、その理由が「事前に湯通しをすることで茶葉に適度な水分を含ませることができ、1煎目の時間が短縮でき、しかも最初からきちんとした味わいが出るし、水分の分布が均等になるので、より煎が効く」という主張だったとします。
一方のB先生は、洗茶をするべきでは無い派で、その理由は「茶農家の人が一生懸命時間を掛けて、揉捻作業を行い、お茶のエキスを表面に染み出させている。それを捨ててしまうというのは、お茶の一番良い栄養価を捨てることになるし、なにより農家の苦労が報われないではないか」というものだったとします。

さあ、この2つの主張、どちらが正解でしょうか?

私は、いずれも正解ではないかと思います。
それぞれの先生が重視するものの違いであって、その重視するものの観点に立てば、いずれも正しいアプローチだからです。
見解の相違、というものになります。

「洗茶をするか、しないか」という、結論だけを採りあげると、正反対のことを言っているように見えます。
しかし、理由がきちんと示されていれば、それぞれの主張が理解できます。
その上で、自分だったらどちらの考え方を支持したいか、という受け入れる側の好みの問題になってきます。
このような意見の対立は、それぞれの世界観から生まれるものなので、お互いが尊重できる状況であれば、至極健全な意見の対立だと思います。
※もっとも、流派などのグループになると、集団心理なのか他者排斥になる傾向があるので、それは好ましくはありませんが。

単なる認識不足の場合

もう一つは、もっとシンプルな理由で、単純に良く分かっていない場合です。
中国茶は本格的に知ろうと思うと、植物学、食品科学、化学、あるいは歴史や文化、地理、政治、経済といった多岐にわたる内容を勉強して行く必要があります。

正直、そんな多岐にわたる内容を完璧に理解している人は存在しないと思っていますので、中国茶の全てが分かる人など存在していないと思います。
いわゆる中国茶の先生と呼ばれる人たちは、私も含めてですが、みな勉強中の存在ではないかと思います。

勉強中ということは、当然、勉強が足りていないので間違った情報発信をしてしまうこともあります。
その間違った情報発信と本来の事実が食い違うときには、「諸説ある」かのように見えてしまうことがあります。
特に書籍であったり、閲覧数が多いようなWebサイトに書いてあったり、著名な先生の発言だったりすると、あまり詳しくな人からは、もっともらしく見えてしまいます。
そうすると、どこかで聞いた内容と異なるので、独自理論となるわけです。

多くの場合において、従来の意見と極端にかけ離れた独自理論というのは、往々にして間違っている場合が多いです(”マスコミが報じない真実”的なものです)。
明確な根拠・論拠が示されていれば良いのですが、独自理論を展開する方が根拠に挙げがちなのは、「自分の目で見てきた」というような経験則です。
ご自身の見解に説得力を持たせるためなのか、「何回も産地を訪問した」「何度もお茶を作った」「何カ所の産地を訪問」というようなアピールをよくされています。

一般には、「これだけの経験があるのなら、正しいことを言っているに違いない」と思ってしまうところですが・・・
この経験則をあまり信用しすぎるのも、いかがなものかと感じています。

 

経験則に頼りがちなことは問題

抽象的な話では良く分からないと思いますので、具体的な例を挙げたいと思います。

台湾で蜜香紅茶という紅茶があります。
現在は台湾各地で生産が行われていますが、元々は台湾の東部の花蓮県などが発祥のお茶です。
このお茶は、東方美人茶のように、お茶の害虫の1つであるウンカ(チャノミドリヒメヨコバイ)の咬害に遭った茶葉を原材料に用いて作る紅茶で、独特の甘い香りを有することで人気となったお茶です。

このお茶のことを知りたい!と思って、産地に出かけたとします。
そして、たまたま、ある茶農家に出会い、その茶園を見せてもらいました。
その茶園はこのような状態でした。

ある茶農家の蜜香紅茶の茶園。草が茶樹を覆っている

お茶の樹がどこにあるか分からないほど、雑草に埋もれています。
茶農家さんの話によれば、ウンカの発生を増やすための試みとして、こうした栽培方法に挑戦されているとのことでした。

この茶園を見て、どう感じるかは、その人の持つ見識によって、評価が分かれます。

他の蜜香紅茶の茶農家さんの茶園を見ている人であれば、「この作り手さんは、かなり異なった栽培法に挑戦されているな」とすぐに分かります。
そして、この茶園はあくまで例外な茶園であることが判断できるでしょう。
実際、一般的な蜜香紅茶の茶園は、以下の写真のように、雑草があったとしても、せいぜい畝間に下草があるくらいだからです。

別の茶農家さんの茶園。標準的にはこのくらい

 

しかし、冒頭の茶園1カ所しか訪問していなかったり、あるいは商売が絡んで、この茶園のお茶を仕入れて販売しようと思っていたら、どうなるでしょうか?
「最初の写真の茶園の状態こそが、蜜香紅茶の茶園であり、美味しいお茶はこういう茶園でなければできない!」のような主張になってしまいがちです。
※実際には、ウンカ以外の別の問題が発生するので、最高かどうかは別です。

自分の店の商品の蜜香紅茶を説明する内容としては、適切なのかもしれませんが、蜜香紅茶の一般的な知識として吸収するには、いささか偏りが強すぎます。

もっと一般的な知識として、お伝えするのであれば、もっと多くの茶園を巡るべきですし、あるいは公的な機関、茶業改良場などが指導する蜜香紅茶とはどのようなものかを調べるなど、一般的とされる情報をもっと集めなければなりません。
一人の人間が訪ねることのできるものは物理的・時間的な制約がありますから、より幅広い情報を取得し、裏付けをとって発信をしないと、これは一般的な情報にはなり得ないのです。
しかし、自分が訪問して見て来たことをもって、それこそが真理であるかのように発信する人が多いのも事実です。

先行して発信されている情報が少ないという事情もありますが、国内で流通している中国茶関係の情報は、正直この手の偏りは多いように感じます。
全般的に裏取りが不十分なのです。

 

どうやって情報の裏を取るか?

裏を取ると言っても、どうすれば良いのか?ということになるかと思います。

これは、中国の場合は、中国語がある程度操れれば、実は比較的容易です。
というのは、中国では、お茶は「茶学」という学問になっているからです。

学問というのは、言葉の定義をはっきりさせ、論理的な思考でもって積み上げていくものです。
何かの情報を発信するには裏付けが必要で、論文なども査読という裏付けの工程を経て発表されます。
つまり、様々な裏付けを経た論文や資料などが比較的豊富にあるということになります。
それらを調べて(最近はインターネットで検索できるので便利です)、整合性を確認するわけです。
もっとも、現地でも怪しげなネット情報は多数ありますので、そうしたものではなく、あくまで学問的に裏付けが取れているものをソースとする必要があります。
一番、入手しやすく、定義が明確なのは「標準(規格書)」の類いかと思います。

それらと日本の巷で流通している中国茶情報を突き合わせると、かなり不整合が起こることが多いです。
たとえば、六大分類の定義からして違っていたりしますし、お茶の定義なども異なっていたりします。
多分、これが現時点でできる、中国茶のもっとも効果的な情報の裏の取り方ではないかと思います。

台湾の場合は少し厄介で、明文化された定義などが少なく、また様々な情報も立場など色々なバイアスがかかったものが多くなりがちです(自社の商品PRだったり、商売上の観点)。
公的機関とすれば、茶業改良場の情報ということになるのですが、生産現場や流通現場と乖離していたりすることもあるので、全幅の信頼は置けません。
そうなれば、実際に生産者を何軒も回ったり、色々な関係者にヒアリングをしたりということをして、情報をできるだけ幅広く複数のソースから収集し、それらを取捨選択して、全体像を組み上げていく必要があります。
これは非常に骨の折れる作業で実に厄介ですが、中国の「標準」のような仕組みがないので、ある意味、仕方ありません。

いずれにしても、一人の人間が得られる情報は限られたものでしかありません。
一人の力は多寡がしれていますので、学問という”集合知”を活かすのが、もっとも効率的な方法です。
そのためには、”茶学”にアクセスするための基礎的な素養は必要です。

 

ちゃんと裏を取ると意見は揃う

情報の裏の取り方をご紹介しましたが、一般的な消費者の方はここまでする必要は基本的にはありません。
中国茶の流通や紹介をされる方は、やるべきだと思いますが、一般の消費者がそこまでしなければならないとなると、苦行になってしまいます。

その情報が裏を取れているかどうか、の分かりやすい見分け方を一つご紹介したいと思います。
それは、極端で突飛な見解ではなく、しっかりと裏を取って情報発信していると思われる複数の人が、同じように証言していることを信用することだと思います。
冒頭にご紹介した、茶芸のようなものは、個々人の見解の差なので、真反対の意見が出ることも多いです。これは唯一の正解が無いからです。
しかし、お茶の科学的な話であったり、商品の定義といったものは、唯一の正解があります。1+1は2であって、2.1や1.9のようなことはありません。
ある程度、きちんと裏を取って情報を集めると、答えは一つに収斂されていくものです。
そうした情報を重きを置いて収集するのがよいかと思います(とはいえ、ソースが「一昔前の中国茶の本に載っていた」は現在となっては疑ってかかった方が良いです)。

また、分かりやすくするためなのか”独自の用語”を開発してしまいがちな方もいますが、これは経験則で動いている方に多い傾向です。
専門家は用語の定義というものを重視し、それを崩さないようにして話すものです。
自分の勝手な解釈で用語の意味を変えてしまったり、別の用法に使用したりすると、混乱が起きてしまうからです。
このあたりも、信頼に足る情報を見つける一つのコツとしてご紹介しておきます。

 

次回は、8月16日の更新を予定しています。

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