第82回:茶商ではない専門家が必要な理由

日本でお茶の専門家、特に中国茶の専門家といえば、お茶を販売する「茶商」というのが通例になっています。

しかし、私は一貫して「茶商だけが専門家では困る」ということを主張し続けています。
それが何故なのかは、なかなか理解しにくいもののようです。
「専門家が茶商しかいないと何がマズいのか」を具体的な例を挙げて、説明しておきたいと思います。

 

茶商がお茶の情報に詳しくなる理由

まず、茶商が専門家と呼ばれやすい理由について考えてみたいと思います。

専門家と呼ばれるためには、多くの情報や経験が必要です。
そういったものを最も得やすい場所というのは、これはなんといっても産地。現場にこそあります。
一定水準のお茶に関する見識を持っていることが前提になりますが、現場の情報へアクセスしやすい環境にある人であれば、適切な年数の経験を経れば専門家と呼ぶに値する知見を蓄えることは難しくないでしょう。

個人の方であっても、「産地に何度も足繁く通う」ことは、不可能ではありません。
しかし、あくまで趣味で長きにわたりこれを続けるというのは、よほどの情熱と裏付けが必要です。
個人レベルで消費できるお茶の量はしれていますから、消費しきってから産地に出かける、というのでは訪問スパンが空きすぎます。
そうなると、お茶の在庫の山に埋もれる覚悟で買い続けるしかありません。
旅費を経費で落とすわけにも行きませんから、資金的な部分でも、かなり無理があります。

こうした制約も、茶商であれば容易にクリアすることが可能です。
販売のための「仕入れ」であれば、旅費についても、経費で見ることもできるでしょうし、茶葉の購入量は個人レベルとは桁違いです。
茶農家へ訪問しても、「バイヤー」の訪問ということになりますから、懇切丁寧に色々教えてもらうことも可能でしょう。
職業としての必要に駆られ、さまざまな知識や経験を身につけていくはずですから、センスの良い方なら数年でプロフェッショナルな専門家となるのは、ある意味では必然です。

 

茶商にとって”知識”は目的ではなく、手段の1つ

「それならば、やはり茶商こそが知識の担い手ではないか」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、ここで注意しなければならないのは、茶商にとって、知識とは良い商品を仕入れるための手段であって、目的では無いということです。

いかに正しい知識があったとしても、売れる商品を仕入れられなければ、茶商の仕事は全うできません。
逆に言えば、正確な知識がほとんど無かったとしても、値頃感のある商品をきちんと継続的に仕入れることができれば、それは仕事として成立します。
知識があることと良いお茶を仕入れることは、実は別物なのです。
そのため、「良いお茶を扱っている」=「知識がある」とは必ずしも言えませんし、逆もまた然りです。

さて、茶商の方が陥りがちな状況として、特定の仕入れ先の情報に偏重してしまうことがあります。
良い仕入れ先を見つければ、当然、そこと長く付き合うことになるのは当然なのですが、その仕入れ先からの情報だけに偏ってしまうと、全体像から乖離することが起こります。

たとえば、継続的に仕入れをしている茶農家の栽培法や製造法こそをスタンダードとして捉えたり、あるいは茶農家の話を鵜呑みにして、特別な製法だと信じ込んでしまう、などです。
本人から見ると特別だと思っていても、周りとの比較をしてみると、実は大して違わない、ということもあったりします。
客観性を保って選んだ取引先のつもりが、長く付き合っているうちに主観がかなり入り込んでしまい、客観的な評価が出来なくなってしまう・・・という可能性があるわけです。

また、茶商にとっては、仕入れた商品こそが、自分の持ちうる知識や経験を活かした結果であり、持っている知識よりも、選んだ商品、お茶の味こそが評価の対象となります。
お茶に付随する情報に間違いがあっても、お茶が美味しければ結果オーライです。
さらに言うならば、選んだ商品はバイヤーの知識と経験によって選んだものですから、ややもすると我田引水になってしまうこともあります。
商品というものがある以上、いささか誇張が入ったり、過剰な評価をしてしまったりなど、バイアスから逃れることは難しいのです。

一方、お茶の先生など、お茶の情報を扱っている専門家は、情報の正しさ・伝え方の分かりやすさのみで評価されます。
この点は、お茶を扱う茶商と専門家の違うところであり、一概に同業者と言えない部分でもあります。

 

唯一の正解は無い。それだけに共通項を探る

さて、”正しい知識”とよく言われますが、そもそも、お茶の”正しい”知識というのは、非常に難しいものです。

明らかな用語の間違いや科学的に有り得ない話などは論外として、良いお茶の作り方であったり、茶園の管理の仕方などは、茶農家の数だけ方法論があり、それぞれが正しいか正しくないかは、なかなか判定できるものではありません。

場合によっては、ある時代では正しかったが、今の時代では違う、だったり、向こうの産地では正解だが、こちらの産地では間違い、ということもあり得るのです。
そうなると、お茶を学びたい、知りたいという方にとっては、「何が正しいのか分からない」ということになるのですが・・・

ただ、それでも共通項と言いますか、原理原則のようなものは、見出すことが出来ます。
それを見出そうとするならば、ある程度のサンプル数を集め、それらを俯瞰するように見ることが必要になります。
そのような視点に立てるのは、特定の茶農家のスポークスマンになっているような茶商の方では無理だと思います。

こうした情報を得るためには、それぞれの農家や産地に入り込んでいる茶商の方々が建設的な情報交換をして、全体像を掴んでいくことが必要でしょう。
ある程度の基礎知識があり、客観的な立場に立てる専門家であれば、商売敵になりかねない茶商同士よりも情報交換がスムーズに行くこともままあります。
情報をまとめ上げていく上では、お茶を扱わない専門家が入った方がスムーズに進むこともあります。

情報というものは、非常に面白い性質があります。
得た情報を「自分だけのものだ」と囲い込んでいると、あまり大した情報にはなりません。
しかし、持っている情報を積極的に交換していく作業をしていると、自分の持つ情報の価値を再確認したり、得た情報を付け加えることで、より価値のある情報になっていきます。

茶の業界で、お茶の先生となると、ややもすると流派のようになってしまい、そこで情報が閉じてしまうことも多々あります。
こうした状況は、閉塞感を生んでしまうのではないでしょうか。
よりオープンな形で情報をやり取りするような媒介者としての専門家。
こうした存在の方が複数出てきて、活発な情報のやり取りがなされるようになれば、もう少し分かりやすいお茶の世界になるように感じます。

 

次回は9月20日の更新を予定しています。

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