お茶の世界には、さまざまな「資格」が溢れています。
中国茶に関心を持ち「色々勉強したい!」となったとき、「資格の取得」も1つの方法論として取りうる方法です。
今回は、この件について少し掘り下げて考えてみたいと思います。

 

「資格」のメリット

「資格」があると、初対面の方に「私は何をしている人なのか」を簡単に伝えることができるので、確かに便利です。
たとえば、名刺に”○○茶インストラクター”と書いてあれば、「ああ、○○茶を教えている人なんだな」と分かりますし、”高級茶藝技師”と書いてあれば、少し事情を知っている方なら「かなり中国茶のキャリアの長い方かな」と伝わりますから、話題のきっかけ作りにはなります。

また、学ぶ側にとっても、資格は学習手段として有用であることは確かです。

お茶の世界というのは、果てしなく広く、学びに終わりはありません。
特に、中国茶などは、現在進行形で大幅な革新が続いていますから、「ここで良い」と立ち止まることもできません。

まだ、右も左も分からない初心者の方が「終わりが無い」と言われてしまうと、「では、初めて学ぶなら、どこからどのように学べば良いのか?」と困ってしまいます。
手の届く程度の目標を設定してもらわないと、一歩を踏み出すことはなかなかできません。
ゴールや目標設定の無い学びというのは、闇夜を手探りで進むようなものですから、これも当然のことです。

その点、「資格」は発行団体によって、一定の知識や技能の目標水準(ゴール)が定められています。
発行団体は、認定試験などの手法によって、受講生の到達度を審査し、目標水準をクリアした方に資格を付与します。
「どこから手をつけて良いか分からない」「どの程度を目指せば良いか分からない」という初学者の方にとっては、当面のゴール設定を行ってくれる「資格」というのは、1つの分かりやすい目標となるかもしれません。

さらに、その知識と技能を身につけるため、基本的には資格の発行団体もしくはその認定教育機関などが、その水準に至るための教育プログラムを設定しています。
それこそが資格認定団体にとっては、飯の種になるわけですが。

学びの方法論として考えると、学びのゴールを提示し、その効率良い教育プログラムをトータルで提供してくれるという点において、「資格」は効率的な学びの方法であると言えるかもしれません。

 

「資格」のデメリット

もっとも、メリットばかりではなく、デメリットもあります。

まずは、資格発行団体の信頼性です。
どこかの団体の資格を取っても、その発行団体がなくなってしまえば、その資格は紙切れ同然となります。
あるいは影響力が小さくなってしまえば、その資格を保有している意味は薄れてしまいます。
日本茶や紅茶などは、それぞれの有力な業界団体が認定する資格があるので、ある程度の安心感はあるかもしれません。

が、中国茶の世界では、そもそも業界団体が存在しませんので、多くの資格は教室主催者の方が任意団体や法人などの形態で「協会」を立ち上げ、そこが認定する形になっています。
このような構図ですので、資格の継続性は、そうした教室の継続性と表裏一体であることになります。

中国茶の資格において、中国の国家資格である「茶藝師」や「評茶員」を求める方が多いのは、発行団体の安心感を求めて、という面もあると思われます。

もっとも、この点は、「資格取得の本来の目的は資格そのものではなく、その経過で学んだ知識と技術にこそある」という立場に立てば、特にデメリットにはならないかもしれません。

 

次に、それぞれの資格が設定する「目標水準(ゴール)」と「方法論(テキストやカリキュラム)」が適切かどうか?という問題があります。

先に挙げた、中国の国家資格などは、この点において、少し問題を抱えています。
なぜならば、国家資格はお茶の職業に就く方の能力開発と能力認定を目的として、目標設定を行っています。
そのため、日本に住む一般の消費者が知らなくても良いこと、身につける必要も無いことまで、学習と審査の対象になっている一方で、消費者レベルで本当に必要とされる知識や技術については、カリキュラムから抜け落ちていることもあります。
さすがにテキストなどは、多くの茶業関係者が関わって作成しているため、その品質は一定の水準にあると思われますが、そもそも目標設定がされていない分野については、言及がありませんし、日中の事情の違い(茶葉の入手性などの流通や文化の違い等)に戸惑う場面もあるでしょう。
国家資格といえども、万能ではないのです。

一方、日本国内の教室などが設定する民間資格は、国内の事情に合わせたゴール設定であることが期待できそうです。
しかしながら、多くの団体におけるゴール設定とカリキュラムは、特定の教室の先生が独自に設定されているものであることが必然的に多くなります。
多くの方が関わり、極力バランスを取った内容ではなく、各教室の講師の個性が色濃く表れます。
たとえば、「特定のお茶については詳細を詳しく教えるが、それ以外のお茶については情報量が薄い」「茶藝は茶席のしつらえなども熱心にやるが、お茶の科学的な成分についてはほとんど言及されない」などです。
個人レベルでテキストを執筆するとなれば、どうしても講師の得意分野と苦手分野の色が濃く出てしまいます。
テキストについては、他の嗜好飲料であるワインやコーヒーなどに比べると、かなり見劣りしてしまいます。

さらに、中国茶は移り変わりが早く、数年前のテキストがすぐに通用しなくなることもあります。
こうしたテキストのアップデートを行わなければならないのですが、複数の講師がいるような企業規模の教室が少なく、個人事業に近い規模の教室がほとんどであることを考えると、日々の業務に追われ、なかなかアップデートのための時間を確保できないというのが実情だと思います。
本来ならば、様々な教室で共通で用いられるような優れた日本語テキストがあれば良いのですが・・・

 

日本において、特定の講師の色が強いということは、もう1つのデメリットを生みます。
それは、学んだ教室によって、派閥化・流派化する傾向が強いということです。

各教室で教えられる内容が、その講師の経験則に基づく内容になりがちであるため、他の教室で教わることととのギャップが頻発することになります。
根拠や定義がハッキリした内容を積み上げていくのが学術的なアプローチですが、経験則を元にすると、各教室独自の用語・解釈などが頻発することになりますので、どうしてもタコツボ化してしまうのです。
そのため、「同じ中国茶を学んでいながら、どうも他の人たちと合わない・・・」という事態が発生します。
そうなれば、自分たちの流儀でできる人たちとの間での交流を優先するようになり、どうしても閉塞感を感じることが多いかもしれません。

 

こうした現実の中でも、学ぶためには

このように中国茶を学ぶ環境は、決して良いとは言えません。
そもそも、中国における中国茶自体が、現在「茶文化」という形で急速に再編されている真っ最中にあります。
唯一の正解が無い上に、現在は正解であるとされているものも、明日には変わるかもしれないからです。

そのような現実があることを踏まえた上で、それでも学ぶことを考えるならば、ベストではなく、よりベターな選択を積み重ねていくしかありません。

その方法論として、1つ提案できることがあるとすれば、「特定の流儀に固まることなく、複数の情報ソースを持つよう心がけること」だと思います。
現在の中国茶をとりまく状況を考えると、「この人の話だけ聞いていれば良い」というようなスーパー講師の方は、どう考えても存在しないのでは無いかと思います。
できるだけ、情報ソースの確かなもの(特定の講師が「見た」「聞いた」という経験談ではなく、根拠のハッキリした「科学論文」「統計」「標準」であったり、複数の関係者が口を揃える事実)を集め、それを軸に自分の中で知識の再構築をしていくしかありません。

右も左も分からない中で、知識の再構築を行うことはできませんから、ある程度、特定の先生のところで一通りのことを学んで基礎をつけるのは良いことだと思います。
しかし、そこから先に進もうとするならば、自分で原典や現地情報に当たれるようにするか、原典の情報や現地情報を提供してくれる方を自身の情報源に組み込み、随時、情報を更新していくことが必要ではないかと思います。

 

現時点では、このような状況にありますが、中国側でもお茶は学術的な研究が急速に進んでいます。
そうした情報をきちんと吸収し、日本の事情を踏まえた上で、より洗練された学習プログラムができる可能性もあります。
弊社でも、そうしたプログラムの開発を視野に入れていますので、ご期待ください。

 

今回より、更新ペースを月2回に変更いたします。
次回は10月16日の更新を予定しています。