前回に引き続き、中国紅茶の話を。

杭州の「一紅一緑」とは言うものの・・・

浙江省杭州市の名茶といえば、ダントツで西湖龍井の名前が挙がります。
中国緑茶の代表格として名前が挙がるほどですので、そのブランド力はかなり強く、杭州市内の茶舗で西湖龍井を扱わない店は、まず無いと言っても過言では無いぐらいです。

杭州の名茶を紹介する言葉で「一紅一緑」という言葉もあります。
「一緑」というのは、もちろん西湖龍井のことです。
もう一つの「一紅」は、今回ご紹介する九曲紅梅なのですが、その存在感は杭州市内でも非常に希薄です。
お茶屋さんの店頭で見かけることが非常に稀ですし、出会ったとしてもグレードは1つしか無かったり、そもそもあまり良い品質のものでは無かったりします。

「一紅一緑」と並び称されている割には、圧倒的に「紅」の分が悪いのです。
分が悪い理由というのは、そもそも産量が非常に少ないからです。
産量が少ない理由というのは、そもそも、この紅茶の出自によるところが大きいように感じます。

 

生産が本格化したのは清代。そのルーツは武夷山に?

杭州市双浦鎮双霊村には、九曲紅梅の歴史や製法について紹介している、九曲紅梅茶文化展示館があります。
その展示の内容から、このお茶の歴史について見てみます。

まず、浙江省の紅茶の生産開始時期は、清の同治年間(1861年~1875年)とされています。
九曲紅梅製法の確立時期は清の光緒年間(1875年~1908年)とされ、民国の時期に生産が盛んになったとされています。
1915年には、パナマ運河開通と太平洋発券400周年を記念してサンフランシスコで開催された万博(いわゆるパナマ万博)で金賞を受賞しています。
清代末期~民国時代が九曲紅梅の名声が大いに高まった時期といえそうです。

このお茶のルーツについては、文献での記載が無いため、民間の伝承ということになります。

著名な専門家の庄晩芳氏の説によれば、九曲紅梅の起源は福建省武夷山の九曲で、工夫紅茶の一種であるとされています。
太平天国の乱(1851年)の時期に、南方からやって来た紅茶の製茶経験のある人が、杭州、湖阜、社井一体の農民に製法を伝え、それが改良を加えられ、九曲紅梅の製法になったとされています。

 

独特の製法

もし、このルーツが正しいとすれば、現在に続く九曲紅梅の製法は、19世紀頃の武夷山の紅茶製法を色濃く残したものということになります。

事実、このお茶の製法は非常にクラシックな製法で作られています。
現代的な紅茶との大きな違いを挙げるならば、「萎凋槽を使用せず、日光萎凋を行うこと」「温度と湿度をコントロールした発酵室に入れるのでは無く、太陽光に当てて加温し、袋に詰めて蒸らす」というような、個性的な製法を行っています。

製茶工程を太陽をとにかく多く利用するという点に特徴があり、現在でも製茶シーズンには最終の乾燥工程を天日乾燥で行っている場面によく出くわします。

こうした太陽光を多用する製茶方法は、非常に省エネな方法ではあるのですが、産業化を行っていく上では、致命的な弱点を抱えています。
お茶の出来不出来が、天候に大きく左右されてしまうことになるからです。

そのため、多くの紅茶産地では、萎凋槽を利用した方法に切り替え、天候に左右されない製茶を行っています。

 

春先は龍井茶、夏場は九曲紅梅という説は疑問

九曲紅梅の生産地域は、業界標準「九曲紅梅茶」(GH/T 1116-2015)によると、杭州市西湖区と定められています。

西湖区といえば、西湖龍井の原産地域であり、著名な龍井村とは目と鼻の先・・・と感じるのですが、実際に行ってみると文化圏が違うように感じられます。

まず、九曲紅梅を生産しているのは西湖区の中でも、南西部の山あいにある一部の村に限られています。
これらの地域は、通り抜けてどこかへ行ける場所でも無く、山で行き止まりのようになっている場所です。
特に用事が無ければ、街の中からわざわざ出向く場所でもありません。
なによりも、出身地も違う、ある意味、集団移住者の村であるため、龍井村など従来からの住民との交流は、さほど多く無かったように感じられます。

地域に植えられている在来の茶樹品種も異なります。
この地域の品種は、鳩坑種と呼ばれるもので、龍井村などにある龍井群体種とは別の品種です。

伝統的な九曲紅梅茶は、この鳩坑種(現地では「老茶樹」と呼んでいます)を用いて製茶されますが、製法も鳩坑種に最適化されているように感じます。
龍井茶の主力品種となっている、龍井43を用いて作った九曲紅梅茶もあるのですが、香りや味が平板で実に面白みのない紅茶になってしまうのです。

日本では、なぜか「杭州の龍井茶の産地では、春先は龍井茶を生産し、夏場のお茶は九曲紅梅にする」という説を唱える方があります。
が、これは誤解では無いかと思います。

そもそも、九曲紅梅の非常に手間がかかり、産業化に向いていない製茶法を龍井村周辺の方々がマスターしているとは思えません。
最近の紅茶ブームを受け、紅茶を作り始める龍井村周辺の茶農家も出てきていますが、彼らが作る紅茶の製法は九曲紅梅とは全く違うものです。
なにより、このようなサイクルで製茶を行っているのだとしたら、龍井村にも九曲紅梅が溢れていないとおかしいはずです。
※もっとも、九曲紅梅の原産地に行くと、「一番茶を龍井茶にし、二番茶以降で九曲紅梅を作る」という農家もあるようです。

 

西湖区であるがゆえの問題

ところが、伝統的な九曲紅梅は消えゆく運命にあるのかもしれません。

その理由の1つは、やはり製法です。
伝統的な製法で作った九曲紅梅は、確かに味は良いのですが、産業化をする上では天候次第というのはボトルネックになります。

もう1つは、品種の問題です。
九曲紅梅の原産地では、現在、鳩坑種から龍井43への植え替えが進んでいます。

その理由は、この地域が「一定の条件」を満たせば、西湖龍井茶として出荷できる地域(二級保護区)に指定されているためです。

「一定の条件」というのは、西湖龍井茶の品種規定です。
業界標準「西湖龍井茶」(GH/T 1115-2015)によれば、西湖龍井茶として用いることが認められている品種は、龍井群体種(龍井村周辺の在来種)とそこから選抜された品種である龍井長葉、龍井43のみと定められています。

もし仮に鳩坑種で龍井茶を製茶した場合は、そのお茶は「西湖龍井茶」として出荷することはできず、よりブランド力の劣る「龍井茶」としてしか出荷できないということになります。

このブランド力の差は、出荷金額にダイレクトに反映されます。
特に九曲紅梅茶を重視するのでなければ、農家は自然と「西湖龍井茶」の生産を重視し、品種を植え替えてしまうのです。
茶は、商品作物であるため、より経済性の高い品種・商品へのシフトは、当然のことだからです。

このようなことから、伝統的な九曲紅梅は黙っていれば消えていってしまう運命のように感じます。

双霊村の牌坊。江南生態茶村として村全体で農薬や化学肥料の使用を禁じている

 

唯一の希望は「ブランド化」による茶価の向上

もっとも、希望が無いわけではありません。
それが、金駿眉に始まった、中国における紅茶ブームです。

浙江省でも唯一の歴史的な紅茶の名茶であるということ。
西湖龍井と並び称されるような、輝かしい過去の歴史があるということ。

このような背景を持つお茶だけに、きちんとしたマーケティングを行い、伝統的な製法を行ってでも、採算に乗る価格にまで茶価を引き上げることができれば、生産者の意欲を引き出すことができるわけです。

そのために、地元政府は九曲紅梅茶文化展示館という博物館を立ち上げて、九曲紅梅の価値を再認識してもらおうとしているほか、ティーツーリズムも含めた地域活性化に乗り出しています。
また、2名の方が杭州市より九曲紅梅製造技術伝承人として指定されており、九曲紅梅茶文化展示館を利用して、製茶のトレーニングなども行っています。

残念ながら、まだまだその効果が発揮されているとは言えない状態ですが、このような取り組みが行われていることは、日本の茶業などにおいても参考になる事例かもしれません。

 

3月中旬は海外取材のため休載し、次回は3月29日の更新を予定しています。